まずは香りありき。
そのためのしなやかさ、喉ごしの良さ。
庭の花木も、石灯籠も、門も…。朝靄(あさもや)に包まれる時刻。
そば打ち小屋で、今日も真剣勝負が始まります。
心身を整えて、そば打ちの三要素に対峙する。
そば粉にふれて、そば粉に聴く、今日の按配。
気温1度なら、そば粉も1度、水回しがじんわり温かいのです。
毎日の天候や湿度を克明に記し、水一滴の加減を慎重に見極めます。
すべて滋味豊かな国内産のそば粉、個性の強い粉もあれば、おっとりした粉も。
たとえば同じ北海道の玄蕎麦でも、その時々の産地や畑で全く性格が違います。
手触り、こね加減、香りの変化を五感で計り、しなやかな、細めの平打ちに。
木製のもろ蓋(ぶた)に鎮座する蕎麦の美しさは、蕎麦打ち冥利(みょうり)と言えましょう。
喉ごしの良さ、しなやかな舌触り、すべては香りのため。
「湯掻(ゆが)く」とは、水を等しく行き渡らせること。
細いようで、麺の外側と中心は思いの外、距離があります。
ここが、最も肝要なところ。
掌(てのひら)に、蕎麦を受けると、その日その日で重さが違います。
瞬時に水分量を読み取り、たっぷりとした鍋の湯へ。
蕎麦の通り道を作ってやるように、箸を大きく動かします。
読んで字のごとく、湯を搔いて、
同じ鍋の中で、新たな湯、新たな湯へと蕎麦を誘うのです。
氷水できりりと締めた蕎麦、
ほんとうは調理場で召し上がっていただきたいほど、
湯掻きたてがもっとも美味。
手際よく、手際よく。この時ばかりはお席が遠く感じます。
蕎麦とは、常にあらず。まずは一口、啜っていただけると有難き幸せにございます。
縁鹿庵 店主 榎谷剛成
春は桜、夏は蛍、秋は十五夜お月様、冬は鬼火焚き郷愁豊かな吉田の町の風情とともに。
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